August 16, 2010

ヒメの初盆 〜そして季節の花など〜


ああそうか、お盆だな・・・と生まれて初めて思う。
自分の宗旨はどうあれ、今回はヒメの初盆にあたるのだ。

ワタシは実は一応はキリスト教徒なので、去年の秋にヒメを彼岸に送る時は、
どうしたもんかとちょっと悩んだのだった。
逝った翌日に、焼き場に持って行く手はずを何とか整えたのだったのだが、
焼き場を運営しているお寺が「読経もいたします」と申し出て下さったのだ。
松竹梅の竹コースには、そこんとこも含まれてますよ、という意味なのだが、
しばし考えて御辞退申し上げた。

ワタシは真面目な信者とはとうてい言い難いが、ヒメは家族と等しい者だし、
ワタシが育てた子供のようなものでもある。
なんと言っても、この者の主はワタシなのだ。飼い主だからね。
だったら、自分が唯一知っている形で送ればよいではないか、となった次第。

ちなみにヒメは、トルコの生まれだ。
もっと細かく言えば、ヒメの母さんのモモちゃんは、紛れもなくイスタンブル
の道端で拾われたコで、ヒメの父さんは近所のブサイク極まりないマフィア面
のデブ雄であり、トルコの宗教人口などを考慮すると「イスラーム系」としか
思えない出自ではある。

あ、マフィア面とかデブとかはイスラームと関係ないよ。
単にワタシがあの頃「あいつだけはカンベンしてくれ」と思っていただけ・・・。

しかし、キリスト教でもイスラム教でも、ワタシが理解する限り、犬猫などは
祭祀の対象にはならないのである。
一応為念、識者に話を聞いてみたが、イスラームで猫の葬式はしないとの由。
キリスト教もしかり。
仏教が生きとし生けるものの一切を「衆生」と考えることとは対象的だ。

その辺の是非はとりあえず置いといて、そこで周囲の意見が別れたのは、
なんだか興味深いところだった。

周囲の大半の人たちは「せっかくやってもらえるんなら、とりあえず仏式で送ればいいじゃない?」と、ワタシの問いに首を傾げたのだが、その一方で、真面目なクリスチャンである知人と、ワタシ同様に特段真剣な信心のない我が弟が、口を揃えて「それはちょっとちがうかなあ」と言ったのである。

一神教と多神教の感性は、ある部分決して重なり合わない。
ううむ、それはこういうことだったのだよね・・・と、ぼんやり考えた。

ふむ、そうだねえ・・・と、打ち嘆き悲しむココロを一瞬フリーズして黙考後、
とりあえず近所の教会に行った。
ヒメが逝ったのは、日曜日の早朝だったのだ。
顔を洗って服を着替えて5分くらい歩いたら、ちょうど教会の日曜日の礼拝に
間に合うタイミングだったのは、神の御心というものなのだろう、とも思う。
礼拝の間、痛みも苦しみもない神の御許で、ヒメの魂が安らにあるように、と
真剣に祈り、帰りぎわ旧版のままだった聖書と賛美歌を買いなおした。

「いままでこんな状態なのに、突然スミマセン」というような内容も、一応
祈りの中に含めたのは御愛嬌・・・ですむといいんだがな。

そして翌日焼き場で、聖書を傍らにして、同じ祈りを繰り返したのだった。

焼き場といっても、一応ペット専用の葬祭場があって、お骨が上がってくる迄
2時間ばかり待つ場所も用意されていた。立派なもんだ。

と、いうわけで、初盆である。

仏式は避けたんじゃないの?と言われそうだが、まあ逝ったのは猫なんだし、
ヒメの場合はおっちょこちょいだから、うっかり他の猫らと一緒くたになって
勢いよく帰ってくることもないとは言えまいよ。

京都 三十三間堂のお香

何故か幸いにして、手元には京都で買って来たお香があった。
京都の三十三間堂を訪れた時、なんともいい香りが漂っていたので、帰り際に
買ってきたものだ。

ちょっと甘い香りがニッキのようだが、一体なんだろうかと思っているうちに
深く優しく気持ちが静まる、そんな香り。
夜ならば心静まり、朝ならばスッとリフレッシュする。
こういうのは良いな。

お盆なので、思いつくたびにヒメの写真の前で焚いている。
要するにこういうことは自分の気がすむようにやればよいのさ、と言いつつ。


夕顔

お盆は夕顔の咲く季節でもある。
薄い芳香が、なんとも奥ゆかしい。
この季節の宵から朝にかけて漂う、ちょっと重い湿った空気に似合う花だ。
ひとつひとつに、なんだか優しい魂が宿っているような気がして、見るたびに
心和む。
夜遊び&朝寝を繰り返していると、なかなか見られない花なのでもあるが。

匂いを嗅ごうと強引に引っ張ると、意外に簡単に首が折れて、結構うろたえる
ことになるのでご注意を。


夕顔


ところでその後、数回教会に通い、四十九日の頃にも出かけたが、それから
だんだんと間遠になって、最近はなんだか足が遠のいている・・・という実態は、
一応最後に告白しておきます。

だから繰り返すが、こういうことは自分の気のすむようにやるのが一番なのだ
と思うよ、本当にね・・・。



人気ブログランキングへポチッとよろしく♪
沈香をおいてゆかしきゆくえかな、なんだよね。いまや思い出だ。やれやれ。


追伸:
これがなんだかわかる人!
しゃぶると甘い♪
ゴーヤのタネ


答:熟しすぎたゴーヤ

ゴーヤのタネ 001


arima0831 at 04:10│Comments(6)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 猫話 | 植物

トラックバックURL

この記事へのコメント

6. Posted by アリーマ   August 20, 2010 23:04
にっきさん

去年の今頃は、確かヒメが一時的に奇跡のような食欲復活を果たして、蝉を捕まえてきたりしたっけなあ・・・と思い出したりします。
いまやトカゲも蝉も現れない我が家は、平和ながらちょっと寂しかったり・・・。

一神教の場合、厳密に言えば、他宗教の祭祀に参加したり、礼拝を行ったりすることは絶対にタブーです。
この禁忌感は、一般的な日本人には「ミョーなコダワリ」に思えるようではありますね。
まあ宗教って、現地の状況に応じて色々形を変えて行くものだと思うので、自分なりに噛み砕いて納得する形があれば良いのだと思います。

そういえば7月半ば過ぎのある晩に、揚羽蝶が家の中に入ってきて、しばらく家の中をヒラヒラしていたことがあります。夜なのに何故?と不思議に思いながら、何とか捕まえて外に放してやったのですが、アレはヒメが旧暦のお盆に戻ってきていたのかも・・・。

ちなみに、揚羽が去った数日後、巨大な揚羽の青虫が山椒の葉をバリバリ喰っていました。
ちょっと考えて、離れた草むらに引っ越してもらいました。考え出すと、きりがないです(笑)。
5. Posted by にっき   August 20, 2010 06:10
去年の夏はヒメさんの介護で、気を張った日々を送っていらしたと思います。
「お盆」・・・宗派は関係なくしてやはり日本の風土に根付いていますものね。友人であるさばさん家は一緒に暮らしていたお祖父さんとお祖母さんが仏教徒、お父さんが神道、お母さんと本人がキリスト教徒。
そんなわけで、今はお父さんと二人暮らしになってしまいましたが、お盆になるとお祖父さんのところにお経をあげにいらしたお坊さんが、仏壇をもたないお母様の遺影の前でもお経を上げてくださるそうです。そっと手を合わせる、それが供養の原点だなぁと思うこの頃です。
ちなみにうちは新暦でお盆をやるので、すでに7月に終わっているのですが田舎では旧暦の8月でお盆をやります。多分あちらへ行った父は2回、帰省しているように思います。(忙しそうだ・・・。)
4. Posted by アリーマ   August 17, 2010 23:37
ぶりさん

お星さまになる、かあ。
そうですねえ。
確かにそう思うと幸せですね。

最近蚊が多いんで、この地の主としてなんとかしてくんないかなあ・・・とか思ったりしますが。
3. Posted by ふ゛り   August 17, 2010 22:01
墓標を持たず、きれいな花になって天に伸び、いつか皆で一緒に星になるのですから幸せですね。

2. Posted by アリーマ   August 16, 2010 13:18
酔華さん

高齢者は人でも動物でも、猛暑と厳寒を如何に乗り切るかが大事ですよね。

ペット専用の火葬場は、心配されなくても結構あちこちにありますよ。ワタシのお願いしたところは、ちょっとした人間用の葬儀と精進落しくらいは出来そうなくらいの、立派な設備でした。

お墓については、お骨をそのままお寺に預けて永代供養してもらうこともできます。かかりつけの獣医さんは、ここに埋葬されている子達のために年に一回そこのお寺にお参りするそうです。
お骨を自宅に持ち帰って、自分なりにお墓を作ることも可能です。ウチは庭に大きな深い穴を掘って、散骨。墓標は立てず、そのあたりに花をいろいろ植えています。骨のカルシウムがいいのだか、結構よく花が咲きますよ。
1. Posted by 酔華   August 16, 2010 06:25
我が家ではウサギを飼っていますが、
今年の10月で8歳になります。
人間で言えば、もうお婆さんですね。

最近は猛暑の影響もありますが、
ケージの中でぐったりしています。
こういう姿を見ていると、
ペット専用の火葬場のことが気になるこの頃です。

お墓もどうするのかなぁ…

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔