December 31, 2017

ロンドンうろちょろ徘徊記 其の五 〜街を歩き、花を愛で、またパイを喰う~

ロンドンの街歩きは楽しい。

歩き出してまず、なんとなくほっとする。
道に車がいなければ、人々は当たり前のように信号を無視して道を渡るのだ。
海外に長く住んでから日本に戻って、どうも窮屈なのがこの信号事情だったなあ、と思いだす。

日本ではほぼ完ぺきに信号とは「守るべきもの」。ワタシの場合、それでも自己責任でちょいちょい信号無視をするのだが、たいがいちょっと驚かれたり、軽い非難の視線に見舞われたりする。いいじゃんか、信号は車を止めるためのもので、人を止めるためのものじゃないんだし、と内心反駁しながら渡るのだが、やはり無意識下で面倒臭さは付きまとう。

しかも子供やお年寄りが横にいる時は、つられて路上に出てくる可能性があるので、そっちも気にしなければいけない。くー、メンドクセエ、としばしば思う。慣れたけどね。十年以上かけて。

ロンドンではそれが無い。
しかも信号ではきちんと車が止まる。
そして誰かが道を渡ろうとしているのを運転者が見ると、原則まずはブレーキを踏む。

どうでもいいことのようだが、ヨーロッパ圏で圧倒的多数にあるのは「歩行者が道を渡るのを見た運転者がアクセルを踏む国」だと思う。止まって渡らせようとするのではなく、さっさと通り過ぎる、という反応だ。そこが感覚的にわかっていれば、とりあえず飛び出して轢かれることはないのだが、信号のないところではとにかく道が渡りにくい。

これはあくまでも極私的なスタンダードなのだが、国民性的な穏やかさはこの辺の反応に出るのではないかなあ、とずいぶん昔から思っている。端的に仕分けるとまずい状況も色々あるのだろうが、やはりブレーキを踏んで歩行者を先に行かせてやる、という反応が自然と出る国は、人が穏やかでマナーも良いような気がするのだ。

例えばごく短期的な観察だったが、香港ではアクセルを踏み、マカオではブレーキを踏む。ドイツなんてどこもかしこもアクセル。トルコやギリシャもほぼアクセル型だったなあ・・・。

30年前のカイロは「ブレーキを踏む国」だったのに、五年ほどして舞い戻ったら「アクセル踏み込み型」が多数派になっていて面喰ったことがある。危うく轢かれるところだった。一つの国も同じであり続けるわけではない。ちなみに日本でも、最近はたまにアクセルを踏む馬鹿を見かけるようになったのは嘆かわしい。

良し悪しの問題ではなく、こういうことに国民性がなんとなく見えて面白い。
だからどこに行っても、まず道を渡りながらこの辺を観察してしまう。


ロンドンの街には古い建物が立ち並ぶ。
クラシックな街並みだが、区画ごとに少しずつ雰囲気が違う。
そんなグラデーションを追っていくうちに、あっという間に二時間くらい歩き続けている。
散歩が非常に楽しい街だ。巨大な古都に独特の力を感じる。

中世の街づくりに基づく街並みが多く残っているのだから、徒歩移動が生活の基本となっている時代の名残なのかもしれない。よくワカランが。
しかも治安が良いから、手回り品や懐中物にピリピリしなくてよいのも有難い。

歩き回っていて目につくのが、街路のごく当たり前な植栽など。
これが実に自然で美しいのだ。

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20170812 ロンドンの藤袴そこらのマンションの横にあるありふれた植栽が、実にしっとりとイイ感じ。
あちこちで思わず足を止めては眺めてしまう。
生命力の強い様々な野花が、ひっそりと豪華に咲き乱れている。

8月はこんな感じの藤袴をあちこちでよく見かけた。菊と樟脳を掛け合わせて淡くしたような芳香も同じ。関東では秋の花だが、ロンドンはやはりちょっと寒いところなのだな。

しばらくあちこちで見ているうちに、案外原則「植えたら植えっぱなし」ではあるらしい、とは思ったが、とりあえず、こうした植栽を作るときに、先にどうなるのかをプロジェクトしてから植えていく精神はあちこちに感じられる。よろしいんじゃないでしょうか。

正直日本で公共の場なんかの植栽を見ていると、なんだかよくわからないモヤモヤした気分になるのだが、ロンドンに来てその正体がスッキリと分かった。

日本にも確かに美しい植栽はあるのだが、たいてい季節ごとに植えては引っこ抜いて植え替え、の繰り返しなのだ。そうかなるほど、その虚しさに漫然と不満を感じていたんだな。
横浜公園のチューリップなど、その最たるもので、見るたびになんだかゲンナリする。

庭造りや自然との共生は、確かにイギリスに学ぶところがありそうだ。
ありふれた自然を上手く取り込んで共生する技、と言おうか。
哲学と言ってもよい。

実は、日本の田舎町に忽然とイングリッシュ・ガーデンと称する施設が現れたり、何かを勘違いしたような奥様方がザアマス的に熱く語ったりするのを聞くにつけ、なんとなく馬鹿にしていたワタシだったのだが。
侮っていたのを深くお詫びしたい気持ちである。スミマセンでした。平伏平伏。

街のいたるところに、様々な形の公園がある。
大きな木があって、花があって、芝生とベンチがある。
疲れたら一息入れられる場所が至るところにある。
ついでに喉が渇けばパブもある。
パブには安くて美味しいエールがある。

イイところじゃないか、ロンドン。
何故に今のいままで喰わず嫌いを通してしまったのだろう。
やれやれ、こんなことならもっと早く来てみればよかったよ。

では次にひとつ、大きな公園も見たいね、とRegent’s Parkへ。

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数年前に作られた人工の池だとか。
鳥がのどかに日向ぼっこしている。

20170812 鴨

人が寄ると一応避けて移動はするのだが、特に怯えることもない。
平然と昼寝を続ける強者も多数。

20170812鷺



鷺もそこいら辺をふらふらしている。
いいのかそれで、と思うほど
間近をボヤッと歩き回っている。









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そして素晴らしい薔薇園。
実によく丹精されていながら、なんだか自然な風情で群生しているのが不思議。
ダイナミックな広がりから、豪奢な香りが立ち上ってうっとりする。

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そしてなんとなく、夜もう一つパイを食べた。
シェパーズ・パイというもの。

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表面焼いてあるが、要はマッシュドポテトとグレービーで煮たひき肉の重ね焼き。素朴でウマイ。
本来は「羊飼いのパイ」だから、羊肉を使うものらしいが、この日の肉が何だったのかは記憶なし。
サラダと煮野菜をサイドに付けてもらった。

イギリスのメシって、皆が言うほど不味くないじゃん、などと思う。
あとで聞いたら、ユーロ導入からオリンピック開催にかけて、大幅に改善されたのだそうだ。
昔は本当にひどかったらしい。

20170811McGlyln's

寮の近所のパブ
で食べたのだが、ここのオヤジのしゃべる英語が衝撃的なほど理解不能。
いわゆるコクニーというものらしい。
「今日の料理」を二回聞きなおしたところで、唯一聞き取れたのがこれだ。
一日中歩き回って草臥れていたし、ま、ウマカッタからよかったのだ、と思う。
エールは安定の旨さ。
こんな古い時計はどこのパブにでもあるな。





ちなみに、万歩計の歩数は連日二万歩越え。
ううむ、このくらい歩いていれば、あのパイを毎日食べても大丈夫かなあ・・・などと思いながら寝た。


(つづく。だって、恋に堕ちた話をまだしていないもの・・・?)



帰国後ついウッカリ買っちまった本二冊(まだ積読山中)。








arima0831 at 01:20│Comments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote ロンドン 

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